2009年10月12日月曜日

もう終わりだね~ははは笑(苦)

最近周りにマージャンやらポケモンやらにはまってる人が増えてますね。
別にそれに対してどうも思わないけど
「おれ廃人なんだよ~ははは」
って言われるとなんて返せばいいか困るなぁ。
「へぇ~そぉなんだもう終わりだね~笑」って返したけど自分でも思うけど冷たいよねー。

他にも人間性社会性の授業とか他もろもろあまり聞いても役に立たなそうだと思うらしい講義でなんかよく分からんゲーム機で遊んでる人がめっちゃ増えてるみたい。それに対して「けしからん」的な考えは全く持ってない(まぁその辺は個人の自由(?)でもあるからね。結局他人のそういうとこはどうでもいい)けどもなんかそんな余裕がうちも欲しいな。ゲームがしたいというわけで無くて余裕の頭(ってか脳)が欲しいな。うちはあほぅだから講義聴いてても分からんことだらけなんで。


今読んでる本「魂萌え!/桐野夏生」(萌えとか言う言葉のせいで軽く思われるかもしれないけど思うよりずっと重い内容です)が関連してこういうこと考えるんだけども老いの怖さって言葉じゃ何ともいえないなぁ若さってほんとにこんな大事だったんだなぁって。
今までの歳ならこれから勉強して遊んで恋して仕事ついて結婚して子供できて・・・ってやることがいっぱいあるけどそれ終わったらほんとやだなぁ。ってかこわいなぁ。仕事退職しても結婚しててまだ相手が生きてるうちはいいけど先立たれたらもう後は孤独(まぁこれは個人で好みがあると思うけど)と病気と死っていう暗いことしかないよ。一人身の自由がどうのこうのって言ってもお金は不自由だからね。それこそうちらの代の年金がどうのこうの言ってるしね。
でもそんなことに気付いたのももう生きて18年たってからなわけで。もう仕事だのなんだの忙しい時期に入っていく時であって。そうそう遊んでばっかでもいられなくて。(っていっても好き勝手してるとこもまだ結構あるけどね)やばいなぁ。焦るなぁ。
そんなこと考えても別に生活を変える気はなくて。まぁでも今死んでも悔いはないなぁくらいには生きたいけわけで。そゆこと言うと今にも死んでしまうんじゃないかとか心配されたりするんだけどね。前に私が飛び降りるんじゃないかと勘違いした子(8/22日記参照)とかね。まぁなんにせよ事故にあって自分が予想してたよりも早く死んじゃうようなことになっちゃったときに「あぁあれもしたかったのにあの人にあれも言わなきゃだし」とかばっか考えて親等々にお礼の気持ちも考えれないなんてゆーのはちょっとねぇ。まぁ「かっこよく言ってるだけで結局クールに死にたいって意味でしょ そんなの無理なんだよ」って言われたらそうなのかもだけど笑
まぁでもそういう生き方って大事なんじゃないかな。(この話前にしたかもだけど)終末のフール/伊坂幸太郎ですごく響いたのが「明日死ぬとしたら何をしますか?」って聞かれた人が「何も変わりませんよ。明日死ぬとしたら生き方が変わるんですか?あなたはいつまで生きるつもりの生き方をしているんですか?」ってセリフ。かっこいいなぁ。

でもって話は桐野さんの小説に戻るのだけどもうひとつ思うのが夫に先立たれた妻(またはその逆も同様・・・なのかな?)の気持ちなんてもんはその実の子供であっても理解するのは不可能なんだろなぁってこと。だからうちのお父さんにもしものことがあったときお母さんになんて言えばいいのか何をしてあげたらいいのか慎重に気を使うべきなんだろなぁって。たぶん私には分かんないことだらけだとは思うけど。というかあんまりうまいこと想像もできんしね。姉さん能天気だししっかりしなきゃだなぁ。


とかなんとか考えながら今日は一日中家で読書とか勉強とかでこもっていたのだけれど。こんなんでも明日死んでも悔いはないって思うんだけどこれでいいんだろうか?笑



まぁそんなことも考えたから今日は「自分が今食べたいと思うがままの料理を作ろう!」と思ったら味噌汁と餃子(冷凍)とフレンチトーストで和洋中全部そろってた。ある意味贅沢。して自分の作った料理がおいしいと感じた時ってめちゃめちゃ至福。ってか作った本人だからおいしいと思うんだろうけど。

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