2017年8月19日土曜日

子供とフォトブック

私はそのときまだ小学生にもなってないくらいの子供だった。その日誰かを探してたどり着いたところは、広い、土の匂いがする公園のような別荘の敷地だった。全体的に色褪せた赤い雰囲気で、そのときは秋だった。家の人なのか、バイトなのか、ボランティアなのか分からないけど、体格の良い、ショートカットの日焼けした女性がせっせとごみや落ち葉を集めていた。おそらく以前は誰も手がつかなくなって大荒れになっていたような跡が残っていたけど、その女性のおかげなのか、石でできた花壇などがたくさんできていた。私も黙ってそれを見ているうちに手伝いたくなり、恥ずかしながら彼女に「箒はありますか!」と聞いていた。彼女は私がそう言いだすと思っていた、みたいな顔をして「そこ」と微笑みながら花壇の横を指さした。私はただ黙々と落ち葉や、なんだかよく分からないごみを掃いて集めた。最終的にごみなんだか、物なんだか分からないようなものも、とりあえず一緒に無理やり箒で集め、大きな古い家の前に集めた。物らしいものを取り上げてまじまじと見ていると、まさか中に人がいるとは思わなかったので驚いたが、おばさんとおばあさんの間のような人が出てきて、「あらあらありがとうね。とりあえずあがって。」と言ってくれた。私がいることに何の抵抗もないところから見て、こういう人は他にもいたのかもしれないなと思った。入ってすぐの畳の部屋に通された。私は鍋 さんという人を探していた。なぜか記憶がないけど、それだけは分かっていて、その人を探しにこの家に来たようだ。そのおばさんに聞くと「ああいたよ。いい子だったねえ」と言った。この家に昔いて、今はもう出ていったそうだ。「こんなのもあるよ」といってさっきのバイトのおねえさんが赤くてA4より少し大きめの、横に長い形の、丈夫そうだけど薄めのアルバムのようなものを持ってきた。それはただのアルバムじゃなくて、写真を一つの紙にまとめて印刷して本にした、フォトブックのようなものだった。中にはこの家で行われたであろう、誕生日などのイベントの写真が写っていた。なぜか人は写っていないが、豪華なケーキたちが写っていた。豪華、といっても高そうな、ということではなく、様々なキャラクターを模した、立体的な、手の込んだものだった。ドラク○のモンスターや、デジモ○の人形の形をしたケーキだった。私はそれを斜め後ろからフォトブックを一緒に見ていた大柄な男に見せ、「すごいね!すごいね!」と言った。私の頭からは完全に消えていたが、その大柄で腰の低い、優しそうに見える男も私と一緒にここに来たのだ。誰かが帰ってきた声がした。「あーあんたこっちこっち」といっておばさんが誰かを招いた。しばらくしてその人がたくさんの洗濯物を抱えて入ってきて、座る場所がないので大柄な男が私を持ち上げ、男がかいた胡坐の中にすっぽりと入れた。私は頭の中で「私には大事な人がいるんだぞ!そんなことしてもお前に惚れたりしないぞ!」と思ったけど、そんなことよりもフォトブックに夢中だった。その誰かのことも洗濯物のことも頭に入っていなかった。私が全く耳を貸していないのをよそに、おばさんがその女性を大柄の男に紹介した。大柄の男が「先に藤川さんが来ちゃったね」と笑って言ったので、そこで初めて顔を上げた。『藤川亜○さん』は私の探している鍋○ さんの関係者のはずだった。藤川さんは小太りで、化粧もほとんどしていなく、頭の高いところでお団子をし、黒縁眼鏡をかけていた。ここの雰囲気に合うえんじに近い赤いセーターを着ていた。「ああ、鍋○ さんを探してんだ」とおおらかに笑いながら言った。なんか大人の話が始まりそうだったので、私はそれよりも気になるフォトブックをめくり続けることにした。するとあるページでどこかで見たことがあるような女性が、真剣な眼差しでこちらを見ている写真が4枚、2ページにわたってあり、暗い背景に白文字で「藤川亜」「本当は私・・・」という文字があり、なんか彼女が動き始めてそこから出てきてそうなところで目が覚めた。
(2017/4/10)



なお、大柄の男とはSNSで羽の生えた羊的な名前を名乗っている例のサークルの同回生だった。夢の中では自分は子供だったから初めて会う人にも礼儀的なことは何もしなかったし、周りの人もそれで許していたような雰囲気があった。アルバムに見入ってるところとか、子供が周りの声聞こえてないときってあんな感じなのかなと思った。
なお鍋○ ○さんはほんとになんて名前だったか思い出せない。藤川さんははっきり思い出せるけど知り合いにいないし、フルで被った人がいたらなんかこんなところでさらされてかわいそうなので隠す。最後に出てきたフォトブックの写真の人は顔は完全に岸井ゆきのさんだった。


続けて書こうと思ったけどもう眠いからまた今度。

地元の商店

久しぶりすぎて投稿の仕方が分からなくてびっくり。

実家(小さな山の上)を下ってT字路に突き当たったところにある、おばあちゃんが一人でやってる商店がある。規模はコンビニの棚1列分くらい。店に入ってすぐ目の前はガムとかチョコとか今でも定番なよくあるお菓子がたくさん並んでいて、よく周辺に住む子供はお菓子を買いに行ってた。でもしょっちゅう賞味期限切れてるし、アイスもいつも霜だらけ。子供は全く気にしないんだけど、今思うと田舎ならではだなあってかんじ。棚の裏には野菜とかも売ってて大人も来るは来るんだけど、たいていの人は隣町に買いに行くから、来るのは車を運転しないおばあちゃんおじいちゃんが多い。子供にとっては野菜の棚は未知のエリア。

そんな商店に久しぶりに行ってみた。どうもだいぶ内装が変わったとの噂だったが、外装は全く変わってなかった。入るとまるでディズ○ーとかU○Jのアトラクションの待ちエリアでありそうな、近未来的な広い空間になっていた。照明は暗めで、メタル的な素材で、ストライプなかんじで白い線が入ったような板がオシャレな感じに入り組んでいた。入ってすぐはそういうただの空間だけど、どうやら右手にある道を進むと映画館になっているとのこと。でもどう見ても道はなくて、小さな映画のポスターが壁に並んでいるだけ。よくよく見るとそれがボタンになってるようだったので、気になる映画のポスターを押してみた。すると静かだけどウイーンと機械音が聞こえて、入り組んだ板が開き、自分が立っているところの床が上に上がり、気が付くと道ができていた。道はすごく長いようで奥の方は暗くてよく見えない。これほんとに行っていいのかな?ていうかあのおばあちゃんは?と思っていつもおばあちゃんが座っていたレジのあるところに目をやると、あのおばあちゃんがいた。でも昔と比べてびっくりするくらい小さくなってて、元気がないというか、まだらだった白髪も髪全体になってて、背中を丸めて正座して、生気がない感じだけど、ほとんど開いてない目と口元はすごく優しそうに笑っていた。よかったまだあのおばあちゃんがやってるんだ。これからはゆっくりしてね・・・ん?なんでこれからゆっくりなんだ?

と思ったら目が覚めた。おばあちゃんあんなお店にしたかったりしたらうけるなあ、若いなあくらいに思って終わった。
その後実家に帰省したら、母親に「あそこのおばあちゃんこないだ亡くなったのよ~」と言われて驚いた。私がきちんと夢見た日を記録しておけばよかったんだけど、だいたい○月の中旬くらいとしか覚えてなくて、どうも亡くなったのが15日(だったかな?よく覚えてないけど中旬)で、びっくりした。「え~!びっくりやね~!あんたのとこに会いに来たんやね~!でもなんでわざわざ遠くまできたんやろうね~!」と母親に言われてああもし会いに来たんだったら最後に会えてよかったなあと思った。

というわけで、ちょっと夢見たらちゃんと日にちも一緒に記録とっとこう!と思い立ったんだがこれが最近歳だからか、起きてすぐはなんか覚えてて感情も移入してるんだけど、あ、現実か、何時だろ?寝るか?準備するか?って無意識に考えたらもう内容忘れてて、なんか壮大な夢見たという感覚だけ残ってる。日中のふとした時に夢の中の一瞬を思い出すときもあるんだけど「あ、待って待って思い出しそう」と思ってもそのまま消えちゃうのでいかん。

で、今日もなんか事件か何かで人が悲鳴あげながら走り回ってる感じだったな、でも全然内容思い出せないな、と思ってテレビつけたらテロのニュースでびっくりした。あれまだ夢かなと思ったけど違ったね。これは内容をまったく思い出せそうにないので関連があったか分からないけど、夢で誰かと話してたら覚えていたかったな。

残念ながらあれから記録に成功したのはまだ数個しかなくて、せっかくだからここに記録しておく。まあなんかこの夢は現実とは関係なさそうなんだが。というわけで次の投稿へ続く。

2015年3月26日木曜日

大分麦焼酎二階堂

 一年ごとの更新になってしまいました。ということで私も順調に修士課程を卒業しました。一緒に卒業した皆様おめでとうございます。私はそのまま学校に残って適度に毒吐いたり、反抗したりしながら研究室畜?します。4年生のときは卒業と言っても修士過程に行く人も多かったし、就職しても福岡ということでみんな頑張ろ〜という感じでしたが今年は遠くに行ってしまう人ばかりで残る側としては寂しい限りです。

 好きな言葉は一期一会ですという人がよくいますが、私にはそういう感情はよく分からなくて、最近はいろいろと発達してきたから「本当に会いたいと思ったら会えるし、会いたいと思わなければ会えない」ような気もします。とはいえ中学校ですごく気のあった友人は、連絡先も知らず、はやりのSNSにもおらず、名前で調べても分からずで会いたくても会えませんのでまだその気持ちが分からなくはないところもありますが。なんか某焼酎のCMで「会いたい人には会えないけど、想うだけで、十分です」的な台詞があるのがあったけど、あれはすごく共感します。何してるか分からなくてもどこかで頑張ってるんだろうなあと想うだけで勝手に幸せです。ただ死んでしまったらそう思うことすらできないので、私の大事な人たちは何としてでももう数十年は生きててほしいです。
 私の身近な人で、世間の目を気にして(実際にはもっと複雑なんだけど)、おそらくストレスが原因で病気になった人がいます。その病気は寿命を削ることもなく、そのものだけなら記憶にも障害はなく、ただ運動機能だけが弱っていく感じの病気です。いろいろ見たり聞いたりしてて思うのは、「自分の身は自分で守れ」というけど、それはストレスもそうだと思います。世間の目ばかり気にしてそのせいで自分の人生を悲しいものにするのは、単純に見たらばからしく感じてしまいます。その人も私と一緒で、勝手に「あれをしなければならない」「私がちゃんとしないと」と思うタイプで、勝手に悪い方向に人生を導いているような気がします。その人は今でも、指摘してもそういう考えはなぜか曲げません。
 これから今以上にストレスが襲ってくるのは分かっていますが、自分の性格上、自分が思うより少し多めに手を抜いて、自分が思うより少し他人に迷惑をかけるつもりでいた方がいいな、と見てて思いました。ここまで書いててすごく悪い人に見えますが媚びません。私はいい人ではないのは十分承知なので。そしてもっと勝手に生きさせてもらいます。
 最近国際状況も良くないし、飛行機墜落事故も多いし、変な事件も多いし、災害も多いしで避けられない命の危険があるけど、こういう命の危険と言うか、人生の危険は避けようと思えば避られるんじゃないかな。というのを考えてここ数年、送る人には何となく「頑張って生きてね」と言ってしまいます。


 なんだか少し自分語りしてしまいましたが、卒業にあたってある先生から短い手紙をもらったのですが、「あなたは建前で過ごしている部分は多いじゃないかな、本当はたくさん思っていることがあるんだろうなと思います」と見透かされていたので何となく最近よく考えることを書きました。ほんとはもっと考えるだけで幸せなことも考えてるけど、それはちょいちょい研究室の仲間とかにこぼしたりできてるので、またもっとしゃべりたくなったときに。

2014年3月28日金曜日

卒業の桜

とても長い間放置していましたが、私は前とほぼ変わらず元気に生きております。過去の文を見るとお恥ずかしいばかりですがこれも自分なのでそのままに。そして研究室の厳しい先輩が卒業されたのでこっそり研究室から更新(怠慢)。

先日ggrksの(休止前)ラストライブがありました。始まるまでは泣かないぞ!と思っていたけどそんなことよりも楽しい時間が過ごせました。時期的に卒業な感じがして今までお疲れ様、これからもがんばってくださいと言うような気持ちです。

新しいGtの和平君が仕事もこっちに移して、遠くからはるばる福岡まで来てくれました。友達もいないし、突然の一人暮らしだしですごく不安だったのに、ライブはいつもにこにこしてて、素晴らしくいい人でありました。関わって短いけれど、バンドとは関係なく彼の勢いある決断力、行動力はとても尊敬に値するものだと思います。今後もどうか幸せになって欲しいものです。

そしてggrを見送りに来て会えたサークルの、特に同期のみんなは仕事を始めている人はとうとう2年目で、責任も増えるし、修士の人は就活をしていたりと大変だと思いますが何より元気で生きていて本当によかったです。あまり濃くない付き合いだった人も含めて私は勝手に「みんな頑張ってるんだもんなあ」と励みにしていますのでみんなも何とかやって欲しいものです。そして先を考えるとつらいとは思いますが、できれば笑顔で過ごしてほしいものです。楽観的な私が言ってもあまり説得力はありませんが。

さて、ggrをずっと、そっと私なりに見守ってきましたが、私には到底できないたくさんの仕事をこなして、たくさんの経験をして、たくさんの人を見てきたと思います。就活・親・学校もろもろからよくない目で見られることもあるかもしれませんが、自信を持ってうまいこと生きて欲しいです。私も今進路で色んなことをこなさなくてはいけなくて、それにおいて思うのは何でも経験とか事実も大事だけど、うまいこと伝えたり表現する力が強ければ強いほど先に、上に、進みやすくなる気がします。


今年もKTがアルバムを引っ提げて日本に来てくれるようですが、東京・大阪のみで新年度始まったばかりの平日ということで残念ながら行けません。特に遠くでしかないライブには自由な学部時代に行っておいた方がいいですね。今回は離婚と親友・父親の死を経験したそうで、寂しげな曲が多いですがやはりKTは大好きです。


これから研究室の親切で陽気な仲間たちとお花見です。明日から雨なので今年の美しい状態の桜は今日が最後かもしれません。

2013年1月4日金曜日

二度目。どうしたらいいのか分からない。どうしたいのかは分かるのだが。 他の女と夜を共にしたようにしか見えない文を見てしまった。しかも誘っているのはこっち側である。そうでないと、冗談であると言う。飲み会のノリでそういうギャグ的なことがあり、全くそこまではいかないが周りに煽られ、行動的に完全な白ではないことは認めた。しかし私には全くそう見えないのである。また、そもそも伝えられていた他の小さなことにいくつか嘘があった。 以前結局何もしなかったので、それではだめなのだと、少し行動を起こそうと思うが、それは相手のためと、真実を知るためであり、今後の二人のためではない。もちろん相手は、認めていることについては全て謝罪している。 未だに信じたい。それが間違いだといわれても信じたいと思うが、信じることができない現状が辛いのである。誰かにどうしたらいいか聞きたいわけでもない。ただ以前ここに記したことが今とても支えになったので、書いておきたいのである。引き出しの奥の日記帳ではなくここに記したい。

2012年3月10日土曜日

二次元の顔

 どこかで飲んできた帰り、もう少し飲もうとのことで、メロコアというバーにtkdと二人でよった。そこはバーとは言うものの、カウンター以外にも普通の四人席の机もあった。tkdは他にもあと二人呼ぶから、と言っていた。飲み物がきたころには完全にさっき飲んだ分のせいで寝てしまった。起こされたときには飲み物は誰かに飲まれたみたいでもうグラスは空で、紺色のパーカーの黒髪すっぴんのちょっと地味な女の子と、上下淡いピンクのふわふわ生地パジャマでフードかぶった金髪ツインテールで化粧ばっちりな子が2人いて、みんなもう帰るとのことだった。2人はバスで帰るらしく、tkdはじゃあ俺らもバスで帰るかと言いかけたがちょっと歩いたところにアメリカというCD・DVDレンタルショップがあり、私は借りたいものがあったので女の子たちとはここで別れて歩いてアメリカへ。

 店内は人が結構入っていた。本も売っているようでtkdがバイク雑誌読み出したので放置して店内を散策。あーなんかパンダの写真集とかみたいなーと思ってたらパンダがそこに座ってた。でもうちは一瞬であぁ、幽霊ですねって思ったから無視した。レジ付近にはうちの好きなLUSHという化粧品も売っててここは何でもあるんやなーと思った。二階にCD・DVDがあるらしいので階段で上へ。借りたかったCDも見つかったので下に降りようかなーと棚の角を曲がったとき、人にぶつかりそうになった。その人をふと見ると、下は黒くて足が見えないくらい長いスカート、上はワインレッドのカットソー?セーター?みたいなの着てて、顔が二次元だった。こんなの↓(実際はもっとなんか怖い雰囲気だったんだが・・・でもこのくらい雑)

 あ、こいつやばいやつ(幽霊)やと思った瞬間にそいつ「にやっ」って笑った。一目散に逃げた。でもこいつR2-D2みたいに全く揺れもしないで、すーってすごい速さで追っかけてくんの。あーもう終わりやと思ったら目が覚めた。でも眠かったからまた寝た。


 化学科のいっつも一緒にいる人たち四人で学校帰りにご飯食べに行った。みんなチャリできてた。ちょっと話してなにか頼もうとしたらまた二次元のあいつがいた。うちに気づいてないみたいで、後ろ姿だったし、あのときの服に黒いボレロ羽織ってるだけだったのですぐに気づいた。友達を素早く外に連れ出して話すと、みんな理解してくれて、ご飯は今度にして急いで帰ろうということになった。来たときは晴れてたのに、すごい雨になっていた。友達は常備のレインコートや折りたたみを持っていたが、自分はなにも持っていなかったのでびしょぬれで帰った。



 別の日、それなりにいい洋風のお店でご飯を食べることになった。一番最初に着いて、中で待っておくことに。入ったときにお店のパンフレットみたいなのもらった。席について待つ。白いテーブルクロスのかかった丸テーブルが部屋の中にたくさん置いてあって、周りは家族連れやカップルでいっぱいだった。みんなワインを飲んだりステーキ食べたりしながらにこにこして話してて幸せそうであった。



 それらを眺めて和んでいると、次の瞬間、いきなり上の方から大量の緑がかった透明のクラッシュゼリー状のものが降ってきた。一瞬で埋もれてしまった。音もしなかった。みんな慌てる時間すらなかった。驚きすぎてもがくことも忘れてただ何が起こったのか理解しようと頭を働かせるのに精いっぱいで、体を動かそうとも思わなかった。ふと、会場の端っこにシールドのようなものなので守られた貴族のような服装を着た人が3,4人いて、話が聞こえてくる。「やっぱりこういう風に津波が来たらどうしようもないってことが証明されたわね」「溺死でなくても水の勢いと机に挟まれて体が切れてるわ」「だって見てごらんなさいよ、自分が死んだことに気づかない人もいるのよ」私の隣の机で食事をしていた家族のうち、ぽっちゃりした母親とその子供はまだ何が起こったのか理解しておらず、首のままでご飯を食べようとしている。

 ここでもしや私も死んだのに気づいてないのか?と思ったが息ができなくて苦しい以外には体のどこにも痛みを感じてないこと、意識はちゃんとしてることを確認して、ここから出ようと思った。何かに使えるかもと思って食事用のナイフを持ち、空気のあるところまで上がり、開きそうなドアを探し、こじ開けて何とか外に出て倒れ込んだ。二階のベランダに出たようだったがふと顔を上げると、人に囲まれていた。私よりも若い、中学生くらいの男の子が数人いた。彼らは無表情で殴りかかってきた。持っていたナイフである程度はなんとかなったけど、簡単に抑えられて殴られた。息もまだ上がっていたし、もう何も理解できなくて頭が混乱していたので叫ぶこともできなかった。彼らは私が放っておいても死ぬ、というところまで殴ると、どこかに消えていった。ほとんど体が動かなかったが、すぐ近くに今日配布されていたパンフレットが落ちていたので手だけ動かしてそれを拾ってよく見た。すると最後のページの一番下に小さい字で、「今日ここであったことは秘密厳守」と書いてあり、横に日本の○○省みたいな印があった。(そういうこと・・・)と思ってたら近くに誰かがいたので見上げると、あの二次元のやつだった。こっちを見てにやにやと笑っていた。



ここで目が覚めた。まじで今あの顔がトラウマ。


2012年2月8日水曜日

題に「きんちょう」って書いたら文字化けするんだが何故

最近はもうじきなくなると分かっているものとか、きっとこれは人生でまぁまぁ大きな賭けだと思われるようなことがあって以前よりとても緊張している。いつも変に緊張して、やたら慎重になって失敗することが多いので表ではゆるゆるしていこうとは思うもののその選択もAがだめならBか、と思ってやってるだけでBもだめだったら笑うしかないところである。

小さいころにみんな冗談でも本気でもどうやって死にたいか考えたことがあると思う。焼死や水死は痛くてなかなか死ねないらしいとか、せめて死ぬ前に飛ぶ気分を味わいたいから飛び降りるとか、痛い治療をしてもどうせ治りはしないならば安楽死したい、とかである。でももし身の回りの人が飛び降りたり安楽死したらどうしよう、と思う。それはだめだよ!嫌だよ!って言っても最期のわがままだと言われると、何とも言えなくなるね。
暗い話をしたけども私は死にませんのでご安心を。

以前ここに書いたかもしれないし、色んな所で言い回った気もするが、私は受験時代に学校の3,4階でとても空の見晴らしがいい窓を見つけた。そこを通るたびに「ここから飛び降りたら気持ちよさそうだねぇ」となんとなく言っていたら友人が私が病んでいると思ってこっそりメンタルサポーターみたいな人に相談していたことがのちのち明らかになったので大変驚いた。ということを思い出したら彼女に会いたくなったし、春休み中に研究室も決まって高校の先生に報告に行きたいので春休みには高校に行こうと思う(彼女は高校の近くの大学にいるので)。


Rolling in the deep/Adele



Set fire to the rain/Adele




KBCのお天気コンサートで流れてました(今は分からないけど)。グラミー賞6部門ノミネートとかすごい人みたい。まだ23歳。